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昭和27年(1952年) |
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担ぎ手確保のため、若中会の発足
神輿奉仕者の中堅となることを誓うもの百数十名余り |
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昭和46年(1971年) |
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若中会(旧若中会)解散神輿巡幸日(還幸祭)
神輿巡幸日(還幸祭)、10月23日最後の年
神輿巡幸日、雨天のため居祭となる |
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昭和47年(1972年) |
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神輿巡幸日(還幸祭)を10月10日(体育の日)に変更
〜 昭和56年の10年間、神輿はトラックの荷台に乗せて巡幸 |
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昭和57年(1982年) |
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小型神輿新調(台棒を含み約180kg)
子供の神輿として新調したが、子供には無理があったため
北白川体育振興会本部役員及び有志(約18名)により担いだ
全道中を肩で担ぎ、千古山、山ノ上本殿まで担ぎ上げた |
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昭和58年(1983年) |
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若中会復活(新若中会)
第八代目会長 内田太一氏 就任
旧神輿用台棒2本を新小型神輿用に加工し使用
旧神輿用台棒2本を新小型神輿用に加工し使用
全道中を若中会会員によって肩で担ぐ
千古山、山ノ上本殿登りを復活!! 萬世橋、石段に篝火を焚く
襦袢新調35着
大太鼓台車(金属製、硬質ゴム車輪)を新調
大太鼓専用鉦スリ鹿の角を新調
白川女、巡幸に参加(前年の昭和57年、北白川体育振興会創立30
周年記念の大運動会に、高盛御本膳献饌、鉾、神輿、白川太鼓、白川
女が特別参加、学区民から好評となりこの年より祭りに参加することとなった)
神輿巡幸予定表の作成をこの年より始めた
神輿担ぎ手募集ポスターをこの年より始めた。 |
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昭和59年(1984年) |
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第九代目会長 西村幹生氏 就任
襦袢新調15着
神輿巡幸予定表再見直し(第二回) |
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昭和60年(1985年) |
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子供神輿補修目的にバザー開催、収益金78万円を基金に子供神輿二
社を補修、子供太鼓を新調
交通整理用「警備役」タスキを15本新調 |
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昭和61年(1986年) |
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鉾差し、巡幸に参加 (弐の鉾)
神輿巡幸予定表再見直し(第三回) |
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昭和62年(1987年) |
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子供神輿用茣蓙新調
小型の大人神輿用舵綱新調 |
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昭和63年(1988年) |
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石段に金属製手すり設置、祭り前後の取り外しは若中会役員が協力
昭和天皇の様態不振、神社庁、宮内庁からの指導により居祭り |
昭和64年(1989年)
平成元年(1989年) |
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1月 昭和天皇崩御
若中会会員による萬世橋での白川太鼓揃い打ち初公開
御旅所前、大提灯建用屋根新調 |
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平成2年(1990年) |
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宵宮の万燈(燈明)を若中会が担当 |
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平成3年(1991年) |
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神輿巡幸コース変更、志賀越道の長川宅前にてUターン
10月8日、献茶式(原田宗園先生)新参入
小学生を対象に夏休みを中心に祭り前まで、長生殿前にて白川太鼓練習会始める |
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平成6年(1994年) |
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神輿新調、旧神輿の台棒を新調神輿用に制作
9月25日、新調神輿奉納式典 北白川小学校〜長生殿(巡幸)
襦袢、手拭い、肩当て、太鼓、鉦、提灯等を新調
山登りの際、神輿提灯にロウソク復活
京都芸術短期大学より男女約20名が参加、主に小型神輿を担当した |
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平成7年(1995年) |
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神輿にゆたんが復活
第十代目若中会会長に中山修一氏就任、先代の西村幹生氏は相談役となる |
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平成8年(1996年) |
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御旅所両側に万燈提灯を120燈新設(広告入り) |
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平成9年(1997年) |
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将来の担ぎ手である子供の夏祭り、北白川夏祭りを開催
神輿新調後、中高生が担いでいた小型神輿を女性神輿として巡幸に
初参加(約20名)
若中カレンダーを始める(10月から翌10月の独特のカレンダー)
若中会会員、若中会協力者宅には「若中 祝秋季大祭」 の札を貼る
銀閣寺交差点内にて鉾差し始める |
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平成10年(1998年) |
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夏祭り等の収益金にて、若中会より天神宮にテント2張り 奉納 |
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平成11年(1999年) |
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新調神輿 5周年 |
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平成12年(2000年) |
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第十一代目会長 西村知道氏 就任
国民の休日(体育の日)変更により、体育の日の前日を秋季大祭の日とする
提灯建てを秋季大祭の8日前とする。 |
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平成13年(2001年) |
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旧大神輿の手入れを行い、大祭の1週間前に学区民に披露。当日雨天 |
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平成14年(2002年) |
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若中会発足 五十周年記念
記念事業を予定 |
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