北白川天神宮
北白川一帯は。一万年を超える縄文時代より集落が営まれていた環境エネルギーの領地である。ここに延喜以前より天使大明神と唄え、我国病気平癒健康長寿の神 少彦名命が祀られていた。八大将軍善政公が文明年間、東山山荘造営に際し、今の千古山明神の森に遷座された。遠く比叡山を望み外山・丸山・瓜生山より昇る日輪と共に拝するこの宮山は、古来幽邃(ゆうすい)の仙境で悪疫伝播で始まった祇園会に列した白川黒鉾と共に永い歴史の大的(おおまと)・高盛・神事御輿に三十九個の提灯を付け、篝火(かがりび)の中、百三十三段の石段を担ぎ上げ還幸、担ぎ下ろす勇壮な秋祭り等が絶えることなく続けられている。
平安時代ここは都に近く宮廷の貴族、大宮人が風光明媚な白河街道沿いにこぞって山荘を営み、詩歌に興じた。また、白川石と花の里で男は石工でその秀でた技術を神社前に残している。女は白川女として代々受け継ぐ地域へ花を届けている。石工・白川女共に数は激減したが現存している。宮廷や貴族の影響で衣裳は白黒鮮やかかつ立体的で京女人風俗中、特に優れている。名水にも恵まれ、遠方より水汲みに訪れる人が多い。白川の川面になびく糸桜として都紅糸桜など見事である。
(京都市)
