北白川天神宮![]() |
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初 詣 |
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7月第三日曜 |
1月14日 |
10月第二日曜 |
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花 見 |
神 輿 |
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つつじ |
穴場見所 |
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6月30日 |
天神宮 |
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| 北白川天神宮 |
| 北白川天神宮は我故郷「北白川」の氏神さんです。足利義政より文明年間、義政の別荘に相当する銀閣寺に向かう際、銀閣寺近くで必ず馬が暴れることから、都の鬼門の方向であり山中越えの入り口にも相当するこの地に造られました。 |
| 由緒 |
| 八世紀前半、久保田の森(現:北白川久保田町)に祠を建て守護神として少彦名命名を「天使大明神」(天使社)と称して祀り、里人の鎮守の神としての信仰を集めていたという。文明十四年(一四八二)二月、室町幕府八代将軍足利義政公が東山殿(現時の銀閣寺)造営に当たり、その往還に際して久保田の森にさしかかったとき、にわかに乗馬が嘶き蹄を立てて進まなくなった。家臣に調べさせたところ、この森に神を祀る祠があることが判り、その神威を感じて王城鎮護の神として東北の鬼門にあたる現在の千古山(現:北白川仕伏町)に遷座し奉ったという。新たに祀られた「天使大明神」は、地域の守護神・白川村の産土神として里人の崇敬を集め、全村民が祭祀に参与した。その後元和五年(一六十九)、後陽成天皇の弟興意法親王が照高院(北白川御殿)を白川村外山(現:仕伏町)の地に建設した。照高院宮第五代の道晃法親王は(一六一二〜一六七八)は特に崇敬篤く、寛文年間(一六六六〜一六七三)に「天使大明神」を「天神宮」と改号、宮家の御祈願所とされた。同十三年(一六七三)八月には石製の大鳥居を奉納、これに「天神宮」の御染筆神号額を掲げられた。明治三年(一八七〇)、智成親王が北白川宮と改称され、兄宮が北白川宮能久親王となられた。これらのことから北白川天神宮の「神輿」[御旅所」には「菊の御紋」が使われている。 |
| 少彦名命(すくなひこなのみこと) | |
| 昭和六十三年、本殿等大修復 | |
| 健康長寿、福徳開運 | |
| 天照皇大神、春日社、八幡社、日吉社、加茂社、稲荷社 など | |
| 高盛御本膳献饌の儀式:還幸祭の一週間前の日曜日 神幸祭:還幸祭の三日前 還幸祭:毎年十月 体育の日の前日・日曜日 |
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| 天神宮正面右側(白川街道沿い) | |
| 御弓祭、節分祭、夏越祭、秋季大祭、七五三 など | |
| 大嵜 充克 |
| 神棚に。。。。 | |
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白河村南の方にあり、土人生土神とす。例祭は九月十三日、神輿一基、鳥居の額、道晃法親王御筆なり。摂社は山王、春日、八幡宮 |
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| 西村誠一氏 記録 より | |
| 西村誠一氏記録、「愛郷」、「御造営記念誌」、「若中会五十周年誌」など より | |
| 寛文十三年(一六七三)八月、照高院宮から奉納を受け建造 | |
| 明治二十七年に白川石で建造、白川に架かる北白川天神宮参道の橋 | |
| 祭神、鎮座神など | |
| 季節を感じる、天神宮 春 夏 秋 冬 | |
| 隠れた「桜」の名所、春に足を伸ばしてみませんか? 枝垂桜が抜群 | |
| 平成十八・十九年元旦(午前零時): 有志数名にて「竹燈路」を献燈、初詣を祝う |
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| 関係団体 | |
| 北白川学区、氏子の会 | |
| 秋季大祭・還幸祭における神輿舁手の会 | |
| 高盛御本膳献饌、盛方衆十六人の会 | |
| 壱ノ鉾、弐ノ鉾、参ノ鉾 |
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| 平成二十年元旦 若中会により 「竹燈路」を献燈 |
平成十八年四月 枝垂れ桜と萬世橋 |
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北白川天神宮神社 |
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所在地:京都市左京区北白川仕伏町42番地 |
| 最終更新日: 2007.3.24 |